名前も知らないダウン症の人に、ちょっぴり救われている話

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ちまたき

どうも、ちまたきです!

家の近くの道を歩いていると、よくダウン症の人を見かけます。

ダウン症の人達はみんな同じ顔だから、何歳くらいなのか分からないけど、平日だからきっと作業所に行くのかな。

ちゃんと信号待ちして、首から携帯を提げて。

楽しそうに歌を歌いながら歩いていきます。

そんな楽しそうなダウン症の人に、私はちょっぴり救われていることがあります。

それは、私の考え方をいつも柔らかくしてくれるから。

カチコチに凝り固まった私の頭の中を、もみもみしていってくれます。

障害者と言うだけで、生きていくのにハンデがあるのに。

何だかみんな楽しそう。

明日のことも、明後日のことも、将来のことも考えずに。

「今」「この瞬間」

自分の思うままに生きている。

それってすごく幸せで、すごい特技なんじゃないかなと思うんです。

もちろん、ダウン症の方を支えてあげている家族の方や周りは大変だと思います。

でもそれすら本人は気にしていない。

そんな性格に私もなりたいな、と。

周りになんと言われようと気にしない。

将来なんて気にしない。

私はついつい、親がいなくなった後とか、大災害が起きたらとか、0%ではないけれどほとんど起こらないであろう確率のことまで心配して体力消耗する癖があります。

自分の「今」やりたい事をやりなよ?

障害者とか健常者とか関係なく、人間は1人じゃ生きていけないんだから誰かに支えてもらえばいいんじゃないの?

人と違う生き方でも、私はこんなに楽しいよ?

って言われてるみたいです。

見かける度に、頭の中をほぐして去っていってくれます。

言葉を交わしているわけではないけれど。

私はそれによって救われています。

こんなことを言うと、

「考えたくても考えられないのに、知的障害者に対して失礼だ」

と言われそう。

でも、みんながみんな違うから、良いのではないでしょうか?

知的障害者は、私のような考え方の凝り固まった脳みそをマッサージしてくれる役割なのかもしれません。

そして、ほぐして貰ったお礼に、今度は私たちが知的障害者を支える。

そうやって役割を与えられているのかな…と考えたりします。

そもそも、今の社会は主に障害を持ってない人がメインで作り上げたようなもの。

障害者の人達からしたら、そんなせかせかして生きてて楽しいの?って言われそうです。

私も気が付かないうちに誰かの役に立ててるかもしれない。

ちょっとだけでも支えになれてるかもしれない。

そう思いながら、毎日できることをやっていこうと思います。

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