私が小学一年生で不登校になり、親が子育てに悩んでいた時に先生から言われた宿題があります。
「家は合宿所」
これは、私たち家族の中で今でも大切にしている言葉です。
- 親が子育てで悩んでいた時に出された宿題
- 当時も今も、本当の意味は分からない
- 私が考える、親が出した答え
- 「家は合宿所」という考え方のおかげで、家族で協力できた
- 家族は、同居人のようなものだと思って生活する
親が子育てで悩んでいた時に出された宿題
当時、私は母親がいないと何もできない子供でした。
甘やかされているとかでは全くなく、母親がいないと心配になってしまっていたんです。
母親が出かけるならどこにでもついて行き、母親が学校についてきてくれなければ学校にも行かない。
どこまでも母と一緒がいい、そんな子供でした。
親も、そんな私に対して子育てをどうしたらいいのかわからなかったんだと思います。
たまたま、私の当時の担任の先生が不登校について詳しい先生でした。
いつも親身になって相談に乗ってくれていたそうです。
そんな中言われたアドバイスの中に、
家を合宿所だと思って過ごしてみたらどうですか
と、言われたそうです。
その一言だけ。
当時も今も、本当の意味は分からない
なぜか親は、その言葉がどういう意味なのか直接は聞いたことがないといいます。
子育てにおける宿題だと思って、考えながら生活をしてきたそうです。
私も大きくなってからこんなことがあったんだよと聞きましたが、どんな意味が込められているのかよくわかりませんでした。
そして現在も、私はちゃんとした答えを見つけ出すことはできていません。
私が親になるまでずっとこの宿題は続くのかなと思います。
でも、言われてみれば私の家では合宿所のようなルールがあったようにも思えます。
私が考える、親が出した答え
私の家では、自分でできることは自分でやるというルールが小さいころからありました。
親は、子供ができると思ったことは手伝ってくれません。
できる限り、自分でやるように促していたと思います。
特に、家事に関してはみんなで分担制。
よくよく考えてみれば、トイレやお風呂掃除、洗濯や料理など、子供だって同じように使っているのに親がすべてやる必要はないですよね。
親でも子供でも同じ。共同生活をしているだけ。
自分で使ったものは自分で片づけるというような感じが家にはいつもありました。
そこで、大人になった私は、当時の親は先生の言葉をこういう風に解釈したのかなと思います。
- 親だからと言って、なんでもやってあげない、手伝わない
- 家にいるときは、家事は分担制。なぜならみんな使っているから
- まるでルームメイトのようになり、子供に干渉しすぎない
合宿所と言えば、みんなで同じ家で共同生活することですよね。
誰が偉いとか、特別とか、そういうことはなく平等です。
家族だから、親だからと言って、子供が自分でできることまでも手伝ったり、代わりにやってあげたりしなくてもいいのではないか。
家事だって、母親だけがやる必要はないのではないか。
勉強したのかとか、部屋の片づけしたのかとか、干渉しなくていいのではないか。
(思い返せば、どんなに勉強してなくても部屋が散らかってても、対して言われた記憶がない)
こんな風に、親は考えていたんじゃないかなと思いました。
もちろん、悪いことや間違ったことをしたら怒られたりすることはありました。
けれど、小学生ましてや中学生にもなれば大体のことは自分で考えて行動しなさいという感じでしたね。
まあ、兄も私も人に迷惑かけたり、社会に反することをほとんどしてこなかったからかもしれませんが。
そんな感じで、我が家ではいつも合宿所のようなルールがあったように思います。
つまり、この言葉の答えは、
「学校で生活することも大切だけれど、生きていく力を身に着けることができるのは家。合宿所のように過ごすことで、自然と身に付く。」
このような感じかな、と考えています。
集団生活や人間関係、勉強は学校生活でしかなかなか身に付きません。
だからこそ、学校に通うことは大切だと思っています。
でも、学校に通うのが辛い。
それならば無理に通わせるよりも、家で学べる環境を作ってあげましょう。
こういうことを先生は言いたかったんじゃないかなと思います。
あえて答えを言わないあたり、親も成長しなさいということなのでしょうか。
学校の先生は本当に尊敬します。
「家は合宿所」という考え方のおかげで、家族で協力できた
よく、家族には暗黙のルールのような役割がありますよね。
- 父親は外に出て働く
- 母親は家で家事をする
- 子育ては母親がするもの
- 子供は遊ぶのが仕事
などなどあると思いますが、あなたはこれをどう考えますか?
私は、実際間違ってはないと思います。
子育てに関して言えば、やっぱり母親のほうが上手に、スピーディに動けることのほうが多いでしょうし。
子供だって遊ばないで勉強ばかりしていては人間関係を学べません。
でも、みんな同じ人間です。
得意不得意があって当たり前じゃないでしょうか。
誰か一人に頼ってしまうと、もしその人が苦手なことだった場合の負担が大きくなってしまいます。
だからこそ、だれがやるとかではなく、できる人ができるときにやる。
みんなある程度できるのであれば、当番制にする。
そうやることで、家族全員が協力出来て成長できます。
実際、我が家では私だけに限らず一人一人がとても成長することができたと思います。
まず、一人暮らしができるほどの家事を行える。
そして、みんなで協力するので社会的協調性が身に付く。
大人になって考えると、これらのことが自然と身に付いたのはとてもありがたいことだなと思います。
家族は、同居人のようなものだと思って生活する
血のつながっている家族、もちろん他人ではありません。
いつでもサポートしてあげたいと思います。
でも、それで無理をしていたら元も子もありません。
お互いに、あくまでも自分でできることは自分でやる。
できないときにだけ助けを求める。
合宿所のように、家族のことを同居人だと思って生活してもいいんじゃないかなと思います。
それがきっと家族みんなが仲良く、長続きする秘訣なのかなと感じています。
そして、子育てするうえで大切な学びの場になると思います。
私も将来家族になる相手ができたら、子供ができたら、こんな風に暮らしたいなと思っています。
困ったときに助け合える、それが家族。素敵だなあ。
私の不登校の体験談はこちらから。
義務教育をほぼ不登校で過ごした話① – Chimataki blog
最後までお読みいただきありがとうございました。
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