今回は、小学6年生の頃の話をしたいと思います。
前回の時に比べて、6年生はかなり学校に行ける日が多くなりました。
毎日通うことはできませんでしたが、ほとんどの行事に出る事が出来ましたね。
その理由して1番大きかったのは、実はわたしのためにクラスが作られていたからです。
たった一人のためにクラスが作られるなんてある?
と思われるかもしれません。
しかし、卒業した後に先生から直接聞いた話なので間違いないと思います。
異例のクラス替え
私の通っていた学校は、5.6年生は基本的にクラス替えはなく、同じクラスメイトという流れでした。
だから、私もほかの友達も、6年生も同じクラスになれると思っていました。
前回もお話したように、一日中行けないとしても徐々に学校に足を運ぶことが出来ていた私にとって、クラス替えがないと言うのはとても安心でした。
しかし、その時既にひとクラス40人ほどいてパツパツなのにも関わらず、転校生が5人も来るという事態が発生。
そしてクラス替えが知らされたのはものすごく直前だったと思います。
環境が変わることが苦手な私は、せっかく仲良くなった子とも別れてしまうかもしれないし、また行けなくなると思いショックを受けました。
実際私だけでなく、パニックになっていた子は何人かいましたね。
そのくらい、あまりない出来事だったのだと思います。
新しいクラスは、とても穏やかなクラスだった
いざクラス替え。
当時仲がいい子はほとんど居なくて、正直終わったな、と思いました。
私以外の子も、「なんで急に!?」と文句言いっていたのを覚えています。
今まで一生懸命築いていた関係も、クラス替えすればまた1からですよね。
しかも私が通っていた学校はマンモス校。
6年生は1クラス35人で5組までありました。
だからクラス替えをすると、6年間過ごしても初めて話す子もいるくらいです。
ただ、担任の先生は引き続き同じということもあり、一度は行ってみようという気持ちになったので行ってみました。
実際に過ごしてみると、とてもいいクラスでした。
とても穏やかで過ごしやすく、一人一人が大人のようでした。
6年生にもなると、一般的には多少の問題が起こりますよね。特に女子。
- 仲のいいグループができる
- 仲間はずれが起きる
- いじめが起きる
現に、ほかのクラスではこういう問題が起きていました。
ですが、私のクラスではグループになることなく、男女全員が仲が良かったのです。
好きな時間だけに来るという私のことも、快く受け入れてくれて優しく接してくれていたのを覚えています。
校長先生が私のために作ってくれたクラスだった
これは、卒業した後に聞いたことなのですが、校長先生がわざわざ私のために考えて作ってくれたクラスだったそうです。
好きな時に来て、好きな時に帰るような子が同じクラスにいたら、変に思うのが当たり前だと思います。
変な目で見られたり、いじめられたりしてもおかしくなかったかもしれないですよね。
それでも、何も気にせずに通うことができたのは、同じクラスの子が私のことを受け入れてくれたからだと思います。
私のために、他人の気持ちを思いやれる子たちだけが集まったクラスを作ってくれたのです。
きっと、当時の私は、学校の先生の中では有名人だったんだと思います。
そのくらい不登校も少なかったんでしょう。
特に、1年生から不登校の子はなかなかいないですよね。
でも、この時の校長先生の配慮がなければ、私は通えてなかったかもしれません。
このクラスで出会った子とは、大人になった今でも遊んだりするくらい仲がいいです。
学校の先生方には、本当に感謝しかないです。
今振り返ると、私の学校生活の中で、一番いいクラスだったと思います。
同じクラスの子だった子も、みんな口をそろえて、
「あのクラスは異常なくらい平和だった」
「みんな仲が良くて、楽しすぎた」
「学校生活の中で一番いいクラスだった」
というくらいです。
校長先生の力って、すごいですね…(笑)
当時は周りの協力がすべてだった
ここまで読んでくださった方の中には、
そんな特別扱いされていいよね
という気持ちで読んでくださっている方もいるかもしれません。
この話だけを聞いたら、そう思っても仕方がないと思います。
ですが誤解されないように伝えておくと、私側から先生たちに通いやすいクラスを作ってほしいと言ったことは一度もありません。
6年生になるまでに何度も苦しい時がありました。
私の親も私も、出来る限りのことをやってきました。
1年生から不登校になり、いろんな方法を親子で、先生たちにも協力してもらって過ごしてきた。
だけど、やっぱり環境が合わなかった。
きっと親も、何度も先生方に掛け合ってくれていたと思います。
そんな私たちを先生たちは見てきてくれています。
そして、当時は周りの人とのコミュニティだけということも大きなポイントです。
今は、ネットで調べればいくつもの不登校の集まりがあると思います。
スマホ1つで、不登校に苦しんでいる保護者同士のつながりも持てて相談しやすい環境ですよね。
フリースクールも昔よりは数が多くなって、家から通いやすいところにある方も多いのではないでしょうか。
たとえ問題が解決しなくても、相談できる環境があるだけでも心が落ち着いたりしますよね。
しかし昔は今と違い、スマホもないし気軽につながりが持てません。
頼れるのは、近くの人たちだけ。
だからこそ、周りの人と協力して助け合うことは当たり前だったんだと思います。
その近くの人たちが、先生だった、ということです。
ここまで一緒になって頑張ってきたから、学校側でもできることを最大限にしてくれたのだと思います。
【まとめ】苦しい時があっても、いつかは必ず幸せな時が来る
6年生は、小学校生活の中で一番長く過ごすことができました。
また、気の合う友達も見つけることができ、大人になった今でも会っています。
そのくらい、6年生のクラスの環境が私に合っていたのだと思います。
不登校は、やはり周りがうまくサポートしてあげることが大事なのかなと思いました。
もちろん、不登校の原因は様々あるので、一概には言えませんが。
でも、私は周りのサポートで毎日ではないですが行くことができました。
行けたという事実で自信がつき、中学校へ入学式から登校してみようという気持ちにもさせてくれました。
そして、私がこの経験で最も伝えたいことは、
苦しい時があっても、いつか必ず幸せな時が来る
ということです。
1年生から苦しい時が続いて、6年生の卒業式に笑顔で出れるとは思ってもいなかったです。
でも、実際には毎日通えなかったけど、少しでも通うことができて楽しい思い出が作れました。
苦しい時は、だれに何と言われようと幸せな時が来るなんて思えませんよね。
私もそうでした。ずっとこうなんだろうなって思ってました。
でも今回の経験で、いつかは必ず幸せな時がやってくるんだと思うことができました。
それがいつかはわかりません。
何年もかかることもあれば、1年かもしれません。
でもきっと、生きている間ずっと苦しい時の人は誰もいないと思うんです。
だから、つらい時は何も考えず、ただ生きていればいいんです。
ご飯を食べて、寝て。ただそれだけ。
そんなことを感じた6年生でした。
苦しい時はそんなこと考えられなくなるのは今も変わらずですけどね(笑)
調子が良い時は、昔のことを思い出して生きています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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